『 放生会 』 ( ほうじょうえ )、宇佐神宮『 仲秋祭 』は
宇佐神宮における最古の祭祀儀礼です!
『
御神輿に乗って、宇佐神宮から、和間地区の浜に建てられた
浮殿という場所に神幸し、3日後の最終日に宇佐神宮へ
御戻りになられます!
この伝統的なこの行事の由来は、720年に起きた隼人の
反乱にさかのぼります!
反乱が起きた際、朝廷軍と共に八幡神が鎮圧して以降
宇佐之国( 皇后官 筑紫豊前国 宇佐郡 )に
疫病や凶作など悪い事が、
2回ある事は3回ある見たいに続き、
隼人の霊の祟りだと信じられていました。
その霊を慰めるために
仏教の殺生戒に基づいて生き物(蜷貝)を放って供養する
放生会がはじまり、全国各地に広まったと云われています!
歴史と伝統を今に伝える放生会は、神仏習合文化を如実に
表している行事です!、期間中は和間神社にて
蜷貝の放流などが行われますので、
是非!、お誘い合わせの上、お越しくださいませ!
また、ここからは歴史的な公文書には記されて無い、
口伝えによる伝承です!、前宮司の到津公斉様より、
私が放生会に参加している時に、お聞きした
話の内容によれば、
その、また昔『
掟( おきて )が有り、八幡大神さまは、宮中の中のみでの
生活を送って居ったそうな、ある時、八幡大神さまが
宮中の側近に
『
言い、外に出て見たい!
その様な事を言ったそ~な、側近( 神仕 )は、困ったな~、
考えに考えた、挙句の果てに
ふと、思い付いた!、輿( こし )に乗って頂ければ、
地面に足を付けずとも、外に出られる
のではないのか?、早速、神仕達を招集し、会議の席を
設けて、話し合いの末に結論が出た、
八幡大神さまを『 輿( こし )に乗せ 』、宮外に
出る事が決まった!
八幡大神さまは、たいそう喜び、予定どおりの日に
輿( こし )に乗り、山岳部に有る『 宇佐神宮 』を囲む様に
流れる寄藻川にかかる神橋を渡り宮中から、
民の暮らす海辺の方まで行ったそうな、
すると八幡大神様は、ある事に、お気付きになられた!、
八幡大神様は、側近( 神仕 )の方々に訊ねたらしい
『 なぜ民の家から煙りが上がっておらんのじゃ~と 』
すると側近は、恐( かしこみ )み申した!、八幡大神さま、
今年は農作物が凶作な上に、海の幸も全く上がらないと!
すると八幡大神さまは、なぜ、それを、もっと早く言わないのだ!
それでは民は食べる食料が無いから、
家から煙が上がってないのか!、
すると側近が、はい!、
神宮に収める年貢を納めるのがやっとで、
自分達が食べる為の食べ物が無いから、
煙が上がっておりません!
すると八幡大神さまは『 よ~し、よ~く解った!』
年貢を半分に減らすのだ!、良いな!
八幡大神さまは、そう側近に伝えたそうな、
それから数年の時が過ぎた頃の事である、
日本全国を津々浦々、点々と旅をしながら商いを営む旅商人が、
宇沙之国は年貢の徴収を半分に減らしたらしいぞ!
と、旅をしながら、行った先々で旅商売をしながら、
噂話に花を咲かせたらしい、それを聞きつけた民が、よし決めた!
宇沙之国に引っ越すべ!、と、
やって来て農地を開拓する者もいれば、船を作って
漁師を営む者も居て、そりゃ~たいそう
活気が出て来たらしいのだ、そして年貢を減らしたのに、
人口数が増加した為、逆に年貢( 税収 )は、
5倍に増えたらしいのだ、この地点で宇沙之国は
『 一大勢力 』を得る事と成り、
その翌年、神功皇后様も、加わり『 三韓征伐 』
成し遂げたらしい、ここで一つ言える事は
一之御殿( 八幡大神 )は優しい神様、
三之御殿( 神功皇后 )さまは、厳しい神様だと聞かさ
れた!、消えゆく歴史を私( 安倍稔範 )が
語りべとして語らせて頂きました!
宇佐市に幸多からん事を願って、ここに御祈願致します!