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六郷満山

大分県、宇佐市、国宝 宇佐神宮の八幡大神に端を発した!、六郷満山は豊後高田市、国東半島に広がる、神と仏の神秘!、仁聞菩薩は、宇佐八幡大神の化身( 生まれ変わり )として宇佐国東の地に今をさかのぼること約1300年前に神仏習合の原点となる山岳宗教『 六郷満山 』を開かれました!、開山より1300年の節目を迎えた国宝『 八幡総本宮 宇佐神宮 六郷満山霊場 』は全国八幡社総本宮である、宇佐神宮八幡大神と仁聞菩薩の足跡を辿り、今日まで脈々と受け継がれてきた神仏習合の文化に触れ、神と仏とご縁を結ぶ巡礼であると共に、この巡礼は行そのものであります!


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国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:01 )

国宝 八幡総本宮 宇佐神宮の八幡大神に端を発した国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 01 ]

    

    

    

    




国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:02 )

国宝 八幡総本宮 宇佐神宮の八幡大神に端を発した国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 02 ]

    

    

    

    




国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:03 )

水、空気、全てが美味しい国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 03 ]

    

    

    

    




国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:04 )

水、空気、全てが美味しい国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 04 ]

    

    

    

    




国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:05 )

海の幸、山の幸に恵まれた国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 05 ]

    

    

    

    




国東半島 | 六郷満山 | 写真集!( Number:06 )

海の幸、山の幸に恵まれた国東半島[ 六郷満山 ]の勇壮な大自然を写真にて詳細に解説致しております!, [ Photo table number 06 ]

    

    

    

    





 六郷満山の歴史


 伝説によれば、仁聞菩薩が、養老2年( 718年 )頃に、国東半島の

 各地に、28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったと

 いわれている。

 その僧の一人に、疫病を鎮めた事で有名な『 法蓮和尚 』が居たと

 考えられている、この法蓮和尚は、現在の国宝 宇佐神宮、当時の

 宇佐神宮弥勒寺の初代:別当、後の八幡大菩薩である。

 古来国東半島にあった山岳信仰の場が、奈良時代末期から

 平安時代にかけて寺院の形態を取るようになったもので、

 古来の山岳信仰が、近隣の宇佐神宮及びその神宮寺である

 弥勒寺を中心とする八幡信仰、さらには天台系修験と

 融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が

 形成されたと伝えられる、現在も、33の寺院と特別霊場に

 宇佐神宮( 六郷満山1番霊場/古称:宇佐神宮弥勒寺 )を

 加えた『 国東六郷満山霊場 』国東半島三十三箇所で

 構成されている。





 法蓮和尚の経歴


 これが、また凄い!、宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺の初代別当!

 英彦山や国東六郷満山で修行したという修験者的な人物でもある、

 宝亀8年( 777年 )に託宣によって

 八幡神が出家受戒( これにより八幡大菩薩の称号を得る )した際には

 その戒師を務めた、大分県 宇佐市 近辺にいくつもの史跡・伝承を

 残しており、医術と法術に長けていたとされており

 続日本紀によると、その功績で大宝3年( 703年 )9月に豊前国の

 野40町を賜った、養老5年( 721年 )の、6月には、その親族に

 宇佐君姓が与えられた。

 このような事績から『 日本書紀 』に見られる豊国奇巫や

 豊国法師との関連などが、歴史資料の記紀に見られる。

 仏教公伝・仏教私伝以前に北部九州へ仏教が伝来していた

 可能性を指摘する説が近年、注目を集めている。





 地名の由来


 国東半島には、中央にそびえる両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って

 武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、

 安岐(あき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、六郷と呼ばれていた。

 また、国東半島の寺院群は、学問をするため本山(もとやま)、修行を

 行う為の、中山(なかやま)、布教をするための末山(すえやま)の

 3つの群に分けられこれらを合わせて満山と呼ばれていた。

 このことから、国東半島の寺院を総称して

 六郷満山と呼ぶようになった。





 六郷満山の文化


 日本初の八幡信仰と天台修験が融合し発達した国東半島独自の

 宗教文化、国東半島の大部分が宇佐八幡の荘園だった

 奈良時代~平安時代に八幡宮や神仏習合の六郷満山寺院が

 多数建造されて特異な宗教文化が生まれ、平安末期には

 国東半島だけで約1000の伽藍があったという、その後時代が

 下るにつれ、鎌倉仏教系、禅宗系、浄土真宗系寺院への転向や

 建立がなされ、独特の伝統行事や習俗文化が育まれ、

 今に引き継がれている、国宝の富貴寺大堂に代表される

 平安建築や、熊野磨崖仏をはじめ、六郷満山文化が

 最盛期だった平安時代の古仏や石窟など

 石造美術も多く遺る。





 修正鬼会


 修正鬼会は、旧正月( 1月~2月)に六郷満山の寺院で行われていた

 火祭り、この行事に登場する鬼は、悪鬼ではなく、祖先が姿を変えた

 ものとされ、現在では、天念寺( 豊後高田市、毎年)、

 成仏寺( 国東市、西暦偶数年 )、岩戸寺( 国東市、西暦奇数年 )の

 3つの寺で行われている、国の重要無形民俗文化財に

 指定されている、これだけのスケールと歴史的文化、

 恵まれた大自然、世界遺産に指定されても

 不思議ではないと思います。










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  Last Update: 2023/02/19.