徳を積み『 八幡大菩薩 』となった高僧、法蓮の最終解脱の舞台であった!
『 和尚山 』は、いにしえの時代には『 化生山 』とよばれ、その部族の民が
認めた者が『 シャーマン 』( 恐らく宮司さんだと思う )に抜擢され
干ばつ回避の『 雨ごい 』や『 五穀豊穣 』を、御祈願というよりは、
むしろ御祈祷と言う表現が相応しいと思う、行われていたらしい。
そして古き神代が過ぎた頃、国東半島『 六郷満山 』で修行を積んだ僧侶
『 法蓮 』が、宇佐市、そして六郷満山の民を守るべく、
ここ『 和尚山 』の『 座禅岩 』に民の願いを叶える為、
その姿を現したのである!
故に 『 和尚山 』の歴史を紐解くには 『 国東半島 』無しでは語る事が
少し難しい関係が有ります!
法蓮はこの『 和尚山 』の『 座禅岩 』で悟りを開き医術と法術の
双方を持ってして、疫病や飢え貧困から民を救ったという、その功績が
後に認められ、朝廷により703年に山野:40町を、また721年には、
一族に宇佐の姓を賜った。
その、4年後に『 法蓮 』の神佛への信仰が朝廷に認められ、
天皇の勅令により『 宇佐神宮 』が創建されるに至りました。
そして時は過ぎ、江戸時代の、1651年に、上拝田の『 安倍義知 』先生が
和尚山の登山道を完成させ、その長男『 安倍義種 』氏が、和尚山( 麓 )の
『 花立池 』の造成に着手し、西暦:1666年に完成に至る。
宇佐市( 皇后官 筑紫豊前国 宇佐郡 )の行政は、大昔から
民に何も手を差し伸べる事はなかったらしいです、そして、
米が収穫できる様に、なった事を知ると、我れ先に
と云わんばかりに『 租税の徴収 』に、
やって来て税を『 取り立てた 』と
聞かされております!
現に『 水利 』で名をはせた
『 南 一郎平 』は、日田の豪商『 広瀬久兵衛 』や
島原藩の公金を借用し、ついに、工費が底をつき、
明治新政府の、長崎総監府に援助を直訴した。
総監府は日田県知事の松方正義に調査を命じ、
その結果水路掘削に対して援助をおこなった。
( 宇佐郡は払わなかった )
宇佐郡は、税金だけは、厳格に処理した。
1870年( 明治3年 )に水路は通水したが、
残りの工事には、国と宇佐郡は、一切、援助をせず、
南 一郎平は、全財産を投じて
1873年(明治6年)に完成をみた。
ここ、大分県 宇佐市には
『 世界に誇れる 』素晴らしい史実がある。
政府は『 利をむさぼり 』決して援助はしない。
宇佐市( 皇后官 筑紫豊前国 宇佐郡 )今も昔も、
変わりなく
未来を知るには過去を知れ!
『 税で家は建つ 』が『 米で家は建たず 』
いつしか、それは『 百姓 』と罵られる様になった!
地元では有名な史実である。
歴史の『 光 』と『 影 』、本来ならば、影の部分と光の
部分、両方を重んじて、しかるべき、真実を正しく
知ってこそ未来の扉は開く 陰ひなたなく
歴史は繰り返される。
『 法蓮 』 = 『 八幡大菩薩 』 『 神佛習合 』 ドンドン良くなる!
撮影場所: 大分県 宇佐市 院内町 和尚山 ( かしょうざん )
撮影日時: 皇紀:2682年 05月 01日 ( 早朝 )
撮影者名: 安倍 稔範